#3
日本の自然の真ん中で
国立公園の未来を見る
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- 上高地
- 中部山岳国立公園
- 利用と保護
撮影:木本日菜乃
文:櫻井 卓
自然の中へ“お邪魔します”
という感覚になる場所
しばらく前から、驚きの声と溜息しかでてこない。それくらいこの場所は圧倒的だったのだ。
「五色ヶ原の森」。中部山岳国立公園の南端に位置する、約3000haという広大な森林地帯。いま歩いているのは、地元の人々が中心となってコツコツと整備してきた秘密のトレイルだ。眼前には轟々と音を立てて流れ落ちる巨大な「布引の滝」の姿が、壁となって視界を覆い尽くしている。すぐ隣には「横手滝」もあり、先ほどから滝の飛沫が顔にかかる距離感で迫ってくる。


遡ること5時間前。靄がかった渓流沿いを歩いていた。周囲には苔のむした複層林。ここではブナやミズナラなどの広葉樹と、シラビソやコメツガなどの針葉樹が共生していて、稀少な山野草も多い。一瞬ニュージーランドにでも迷い込んだかという錯覚におちいる、静かで深い森。鳥さえも息を潜めているのか、聞こえるのは耳に心地よいコロコロという川の流れる柔らかい音だけだ。
乗鞍山麓にある五色ヶ原の森にはいくつかのトレイルが付けられていて、約8時間かかるロングコースが3本。ほかに、それをアレンジした2時間程度のショートコースもある。今回歩いたのは、その中の「シラビソコース」。約7kmの、ほぼフラットな道のりには池、渓流、そしてクライマックスには冒頭の滝たちが現れ、日本離れした風景が続く。

冒頭で秘密、と書いたのは別に隠されているわけではなく、全エリアがガイドツアー限定で、1コースあたり1日150名までしか入れないという仕組みがあるからだ。アメリカなどの海外では、こういったいわゆるパーミット制(許可制)は、貴重な自然が残る地域を中心に採用されているが、日本ではまだ数えるほどしかない。なぜこのような制限を設けているかというと、もちろん第一には豊かな自然を守るため。エリア内にあるトイレはすべてバイオ式で、汚水の分解などに必要な電気も敷地内での水力発電。スタンドアローン型の環境に配慮した作りになっている。トレイル整備にもできるだけプラスチックやコンクリートを用いず、自然に還る素材をメインに使っている。すべてをガイド付きツアーにすることで、このエリアに限らず自然への理解が深まり、来訪者自身が自然保護の意識を持つようにもなる。
「それだけでなく、識者による調査機関が定期的に入り、自然へのインパクトがないかなども定期的に確認しているんです。こういう取り組みをしているエリアは国内でもわずか。国立公園の思想である保護と利用のバランスを図る上では理想形。一方でこれだけの管理にはコストがかかる。全く同じ方法でなくても良い。バランスをとる、というこの考え方を中部山岳国立公園のベースにしたい」
今回の旅に同行してくれた環境省・中部山岳国立公園管理事務所の所長である森川政人さんが熱のこもった声で言う。
ここでは人間は脇役で、あくまでも自然が主役なのだ。この深く静かな森の中にいると、声のトーンも落としがち。自然の中にお邪魔します、という感覚になる。

五色ヶ原の森の後は、クルマで30分ほど走り、マイカー規制のため、一般車両の通行が禁止されている「上高地」までバスに揺られる。五色ヶ原の森が隠れた秘境だとしたら、この上高地は誰もが知るエリアだ。この日も多くの観光客たちが、雄大な自然に歓声あげている。
普段なにげなく見ている河童橋付近の風景だが、森川さんに言わせれば「奇跡のような場所」なのだという。いまから約1万2千年前。河童橋からもよく見える焼岳の噴火によって生まれた湖を、山から流れてきた土砂が埋め立てたことで、高地にありながらもフラットな地形が誕生した。
「土砂が堆積したこの場所を流れる梓川は、大雨が降るたびに自由に川の流れを変えているんです」と森川さんが教えてくれる。それによって、つねに風景が変化しているのだ。土砂災害の危険もあるのだが、極力護岸などはせず、自然のままの、この地形の攪拌を維持することで、本州ではこの近辺にしか生育しないケショウヤナギなどの稀少な植物も守られていく。

「自然が織りなす景観がいかにして生まれたかというストーリーを、もっと強く感じられる場所にしていきたいんです。そうすれば、訪れる人がもっと自然に対する敬意というものを感じやすくなるはずです。ほかにも河童橋周辺だけでなく、岳沢湿原などちょっと横に逸れた場所にもスポットを当てるような導線作りなどにも取り組みたい。北アルプスにも縁の深い、日本の近代登山を拓いたW・ウェストンをもっとフィーチャーすることで、登山の持つ文化的な側面を広めていったりということも考えています」
ほかにも、鹿の食害を最小限に食い止めるための対策や、熊対策のためのフードコンテナの設置など、森川さんが中心となって進めている新たな動きは数多い。アイデアが止めどなく溢れてくる、そんな印象の人物だ。
「五色ヶ原の森と上高地という、おのおの個性的なトップランナーが走り続けることで保護と利用のバランスを模索し、今以上に充実させることが必要だと考えています」
そこで得たノウハウを各地域に合うようにアジャストして採用していきたいのだと、森川さんは熱っぽく語る。その先にこそ、自然と人との理想的な共生があるはずだと。
