自然との調和が取れた
これからの観光地を求めて
今年国立公園指定90周年を迎えた阿寒摩周国立公園には見どころがたくさんある。阿寒湖の温泉街や摩周湖の眺望、白鳥が訪れる屈斜路湖など、国立公園という認識よりも、観光地としての顔のほうが高い知名度を持つエリアかもしれない。そこに暮らす人たちは、自然に対してどう向き合っているのか。古くから豊かな自然と向き合ってきた地元の人たちが模索する、自然と寄り添いながら持続していける観光地の在り方。
- 案内人
- 末廣圭司郎 (環境省)
- 案内地
- 阿寒摩周国立公園
前田一歩園によって守られ続ける
自然のままの複雑系の森へ
「阿寒の森は100年以上前から人の手によって守られて来たんです」
光の森、と呼ばれる場所を歩きながら、幼い頃からこの森で過ごしてきた高田茂さんが言う。
阿寒湖温泉といえば、国立公園内に位置しつつも、年間300万人以上が訪れる観光地としての顔が有名だ。ただ、実は阿寒湖温泉街付近の、横2km、縦1kmの範囲にしか人は住んでいないのだ。
この光の森だけでなく阿寒湖周辺の森は前田一歩園財団が古くから守ってきた歴史がある。
「この山は伐る山から見る山へ」と森を保護する方向へ大きく転換したのが阿寒前田一歩園の初代園主、前田正名であるとこの前日に取材した現・前田一歩園財団の理事長である新井田利光さんが説明してくれた。
土地を売却することもせず、ホテルなどに貸し出すことで、収益と保護のバランスを取り続けてきた。100年以上もの間、阿寒の森を守っているのだ。その範囲は、温泉街があるエリアを除いた阿寒湖の周辺全域で、広さは3892ha。国立公園になったのが1934年のことだから、それより前にそのような自然保護の考え方を持っていた日本人がいたことに驚く。しかも、もともとは馬を養成する牧場を作ることを目的で手に入れた土地なのだという。
現在は森の復元にも取り組んでいる。国立公園の中に私有地、というのは日本においてはそこまで珍しいことではないが、その所有者が積極的に保護、さらには復元しようとしている場所は希有だ。
「森の復元という活動に終わりはないと思っています。代々受け継がれていくべきもの。それが前田一歩園財団の使命だと思っています」。新井田さんの言葉が蘇る。
この光の森という名前は針広混交林の木漏れ日の美しさを前田一歩園の3代目園主である前田光子さんの名前と重ねてあるものだ。光子さんは、牧場跡地の植林や天然林の再生などを進め、現在も続く「復元の森づくり」を始めた人物。
さまざまな樹木が茂っているけれど、なぜかしっかり光が入ってくる不思議な森でもある。
一度人の手が入ってしまった森を自然の持つ力をできるだけ生かして復元する、という考え方なのだ。だから倒れた木も出来るだけそのままにしてあり、それを苗床にして若い木たちが新たに立ち上がる。
この森は幼い頃から高田さんの遊び場だ。休み時間はいつもここで過ごしていたという。現在は入域制限がされていて、高田さんのような認定ガイド、森の案内人と一緒でなければ入ることができない。
「もともとは誰も入れていなかった場所なんですが、体感してもらうために森の案内人と一緒なら入れるようにしています」
森の案内人は現在7人。阿寒在住で2年間の研修が必要という厳しい基準もある。
入域制限がかかっている場所だから明確なトレイルはない。野生の領域だ。
「あ、鹿がいる」と言って、ポケットから出した小さなものをくわえて勢いよく息を吹き込む。キュイーという切ない音は、高田さんが吹く鹿笛の音。それに答えるように遠くから鹿の鳴き声が返ってくる。まるで会話しているかのようだ。高田さんはハンターの顔も持つ。幼い頃から、父親と一緒に狩猟に出ていたという。
「実際に確かめたことはないんですが、たぶん、アイヌの紋様ってこういう木についた虫食いの跡とかからヒントを得ているんじゃないかと思うんですよ」
高田さんは「たぶん」という言葉をよく口にする。それは“わからない”という領域を作ることで、自然に対する謙虚さを忘れないようにするためなのかもしれない。
ふと前を見ると、いつの間にかキツネの姿がそこにあった。すかさず高田さんが鳴き声を真似る。見事な声帯模写なんだけど、「ウァン、ウァン!」とキツネに話しかける姿は、たぶん子供の頃から変わってなさそうだ。
「じゃあ、いまから夜にしますね」と高田さんが言い、アイマスクを手渡される。目隠しをしてしばらく森を進むと、甘い香りが漂ってくる。視覚を封じることで他の感覚が鋭くなってくるのがわかる。
甘い香りの正体は桂の巨木だ。
「桂の葉っぱは、不思議なことに落葉してからこのように甘い香りを出すんです。なんでしょうね。良い事あるんでしょうね」
ほかにもエゾマツ、トドマツ、ニレ、キハダ、ハリギリ、ボダイジュ、ハンノキ、イチイなど、多種多様な樹木たちが自由にのびのびと暮らしている。
「エゾマツとトドマツの見分け方、わかりますか?枝が『もうエエゾ』という感じで下がっているのがエゾマツ。『天までトドけ』と上に伸びているのがトドマツです」
ブドウやコクワのツルもいたるところに垂れ下がっている。
「アイヌの人はこれでテシマを作るんです。カンジキですね」
高田さんとの森歩きは、時には巨大な木の洞に入り込んだり、目隠ししたり、匂いを嗅いでみたりと、まるで子供の頃に戻ったかのような無邪気さだ。
「あさはゆき! こう言うと、熊は冬眠の時期だと思って眠っちゃうらしいですよ」
これは高田さん流の熊ギャグ。「慌てない、騒がない、走らない、ゆっくりと、距離をおく」の頭文字を取った注意喚起だ。
「それさえ徹底してくれれば大丈夫」
そう言う高田さんはどこか楽しそう。高田さんにとってみれば、ヒグマも古くからの馴染みなのだろう。
最後まで鹿の姿を探して、名残惜しそうに森に佇む高田さん。きっとみんなに阿寒の立派な鹿の姿を見て欲しかったのだと思う。
この森同様、高田さんと自然の付き合い方も、子供の頃から変わっていないのだろう。
変わらないものを大切に守り続けること。これは自然を軸とした観光においても大切なことだ。
マリモは自然界からの
メッセンジャー
球状のマリモがプカプカと湖面に浮かび上がってくる。
「若菜さ〜ん」という声すら聞こえて来そうな不思議な光景だ。
阿寒湖の球状マリモが群生しているキネタンペという場所。
完全に人の出入りはシャットアウトしている。
ドライスーツを着込んで水中にいるのはマリモを研究している若菜勇さんだ。阿寒のみならず、世界中のマリモを見てきたマリモ愛に溢れた人物。補修の跡が目立つドライスーツこそ、若菜さんが真摯にフィールドと向き合ってきた証だ。
マリモという種自体は世界的に珍しくないという。どころか実は球状になるだけなら、他にも例はある。阿寒湖の場合は、それが大きく、しかも群れになるというところが特殊なのだ。
阿寒湖と同じく、大きくなって群れをなすアイスランドのミーヴァトン湖のマリモが2014年に絶滅が確認されたいま、阿寒湖が世界唯一の場所になってしまった。
「実は丸くするだけならそんなに難しいことではないんですよ。細かく環境を整えてあげれば水槽の中で丸いマリモを育てることもできます」
でも、と若菜さんは続ける。
「ということは逆に考えれば、阿寒独自の生態系の特性をマリモが示しているとも言えると思います。象徴的な存在なんです」
阿寒湖のマリモがなぜ丸くなるのか。
端的に言ってしまえば、波動によって回転しながら満遍なく成長してじょじょに球状になっていくから。ただ、そうなるための条件がとてもシビアなのだ。湖の大きさも球状マリモにとって大切な要素のひとつ。マリモが同じ場所に留まりながら回転するための波は、約4kmという阿寒湖の湖面距離でないと生じない。それにくわえて夏期に太平洋から吹き込む秒速7mほどの海風、さらには絶妙な深さの湾など、さまざまな要因が奇跡的に重なることで、阿寒湖のマリモは丸くなる。
「ということは、マリモをきちんと理解すれば、阿寒湖のことも理解できるということなんです」
そしてマリモはとてもデリケート。だから指針になりうるという。マリモになにか変化があったら、環境が変わっているということを真っ先に知らせてくれているということ。
「一般の方にも響くストーリーはすごく大切です。が、それをただ単純化すればいいという話でもないと私は思います。なぜ、丸くなるのか? なぜそれが世界で阿寒湖だけになってしまったのか。そういう背景が大切です。希少性というキャッチーさだけで、観光名所的に語るのではなく、マリモを通じて、阿寒、もっと言えば世界の自然をとらえる。分かりやすさだけを追求するのではなく、少々分かりにくくても、それをしっかりと伝えて行く必要があると感じています」
はっきり言って、マリモの話は複雑だし、パッと分かるような内容ではない。だからこそ、現場に来るのが大事なのだとも感じる。
さらに船で移動して、かつてマリモが群生していたシュリコマベツの生育試験地へ。ここでは環境省が丸いマリモの育成に挑戦している。ゆくゆくはマリモと触れあえる場を目指しているという。これが成功すれば、いまでは保護のために完全にクローズされているマリモの姿を一般の人が目にすることもできるようになる。
「私自身そうでしたが、実際に見ると腑に落ちることがたくさんありますから、触れられる場所というのは大切ですね。観光資源として保護と利用の両立ができれば、もっと阿寒の自然の奥深さを広めることができると思います」
いま、より深いエコツーリズムが求められている時期に来ている。パッと分かりやすいものに飛びつかず、もっと深く考えよう、より広い視野で自然を見てみよう。マリモはそういうメッセージを伝えてくれる存在なのかもしれない。
阿寒の気候が生んだ
世界に通じるスキー場
阿寒湖を一望できる場所。冬にはスキー場になる。
「観光と環境の両立は難しいよ。いまは取り組んでいるという意識はあるけれど、昔はそんなことなかったよ。ただ土壌があったよね。前田一歩園財団というさ」
長年阿寒の観光を見続けてきた松岡尚幸さんが言う。この国設国設阿寒湖畔スキー場は、国際スキー連盟(FIS)公認で、全日本選手権などもおこなわれている。
「阿寒湖のスキー場の良いところは雪があまり降らないこと。逆だと思うでしょう? 要するに晴れが多いのさ。そしてものすごく冷える」
その特徴を活かして、いまから35年前に人工降雪機を導入した。人工降雪機で雪を降らせて、インジェクションという手法でその雪に水を含ませる。そうすることで寒冷な阿寒の気候によって、ガチガチのスケートリンクのようなゲレンデが出来あがる。
「一般のお客さんだったらフカフカが良いっていうかもしれないけどね。うちは競技スキーの場所としては最高なんだよ。世界選手権とかオリンピックだと、そういうコンディションで滑るわけなんだから」
だから全国の高校のチームも合宿にくるし、国際スキー連盟(FIS)公認の大会もおこなわれている。
「阿寒でしかできないこと。そういう場所をもっと増やしたい」と松岡さんは言う。
「町全体が潤うために、スキー場もそうなんだけど阿寒の自然をもっと活かすべきだと思う。たとえば本当に美味しいヒメマスがいるのに寿司屋がない」
自然を活かすことで、自然は守らなければ人間も困るという構図を作り出せないかというのが、松岡さんの考えだ。
現在はゲレンデをひとつ増やすことを計画していて、登山客を見込んだ日帰り温泉施設なども検討中だ。
「べつに、本当はやりたくないんだよ。森を切ることになるからね。やっぱり自然保護と観光って、どうしたってぶつかるよ。でもね、人が生きていけないと自然を守ることもできないとも思うんだ。マリモの保護にも積極的に協力しているけどね。やっぱり子供たちに見せてあげたいという気持ちが強い。それは自分の地元を誇りに思ってもらいたいから。自然のため、じゃなくてやっぱり、人間のため、なんだ。そうじゃなきゃ続かない。だからね。自然を守ろうとしたら、その地域に住む人たちが金銭的にも気持ち的にも豊かじゃなきゃだめだ。そうなればおのずと若い人も戻ってくるし、続いていくはずだよ」
ハッとさせられる金言。綺麗ごとだけでは難しいのだ。真理を突く言葉はいつだってストレートだ。人も自然も潤う観光地。相反する要素なだけに、そこから目を背けず、しっかりと自覚をもって取り組むことが大切なのだ。
400kmのロングトレイルで
垣根を越えた線を引く
道東に1本の長いトレイルが生まれる。
「北海道東トレイル(Hokkaido East Trail (HET)」は知床、阿寒摩周、釧路湿原の3つの国立公園にまたがっていて、それぞれ北海道の特徴的な景観や風土、人々の暮らしや文化・歴史を味わうことができる歩く旅の道。総延長は約400km。開通すれば潮風みちのくトレイルに次いで、日本で2番目に長いロングトレイルになる。
今回訪れた阿寒摩周国立公園のエリアは、屈斜路外輪山を中心としたカルデラ地形の中を歩けるのが最大の特徴であり魅力だ。
このトレイル作りの旗振り役となったのは環境省・阿寒摩周国立公園管理事務所の末廣圭司郎さん。
「このあたりにも素晴らしいトレイルがあるんですが歩く人はそう多くなく、まだまだ発信力が足りていない。でも1本の長いトレイルにすることで、話題性を高められれば地域のトレイルの後押しになると思っています。世界中からハイカーが訪れる。そんな場所になっていほしいんです」
道を繋ぐ、と一言でいってもいろいろと難しい問題もある。例えば森の中を一般の人が安全に歩くためには、国有林であればまず自治体などが国から歩く道を借りて整備する必要があるし、市町村の協力を得られなければ道は繋がらない。
また、ハイカーが安心して歩けるよう、クマ出没情報をはじめ、自然の中を歩くための注意事項など、様々な情報を発信できる体制を整えることも必要だ。
クリアしなければならないことは沢山あるが、地域の方々の協力や応援をもらいながら、2024年10月頃のオープンを目指し奮闘している。
末廣さんとともに、北海道ひがしトレイルを藻琴山から屈斜路湖方面へと下りていく。美しいダケカンバの間にキレイに刈られたトレイルが付いている。目線を下に向けると遠くには屈斜路湖が輝いている。
その後もトレイルの断片を集めていく。
釣り人が竿を振る屈斜路湖畔。霧の摩周湖。広大な牧草地。このトレイルには、阿寒摩周国立公園の見どころが詰まっているのだ。
噴気孔から水蒸気をモクモクと吹き出す硫黄山の横を通り抜け、つつじヶ原と呼ばれる場所へ向かう。
「ここは、あまり人が訪れないんですけど、僕としてはすごくおすすめのトレイルなんです。ちょっと日本離れしてませんか?」
末廣さんが言うように、白い砂地にハイマツがポツポツと生えている様子は、まるで砂漠だ。この道は川湯温泉まで続いていて、いまいるハイマツ帯から、イソツツジ、広葉樹林、そして針葉樹林と植生がクルクルと変わる。とくにハイマツやイソツツジは高山帯でしか見られない植物だと思っていたが、硫黄山による火山ガスや酸性土壌でも生き残れる種、ということで、この一帯は低標高なのにこれらが生息しているのだ。自分がいる標高を一瞬忘れてしまう、不思議な場所だ。
断片を集めただけでも、そのロングトレイルのポテンシャルを感じるには十分だったが、次はそれらを通しで歩いてみたい。点だけを巡るような観光ではなく、それを線で繋げばもっと深い領域での自然の変化が見えてくるはずだ。歩くというのは音楽に似ている。連続性とハーモニーが大事なのだ。
自然を味方につける
森の中の温泉街という構想
川湯温泉が工事の音に包まれている。いま生まれ変わろうとしているのだ。
バブルの頃の盛況も鳴りを潜め、最近では廃業したホテルがそのまま放置されている場所も増えていた。いま町に溢れているのはそういった廃ホテルを解体している、ある種希望の音なのだ。
いま、川湯温泉で進んでいるのが森の中の温泉街というプロジェクトだ。コンセプトは「湯の川がつむぐカルデラの森の温泉街」というもので、街中を流れる温泉の川をいまよりも前面に押し出して、飲食店なども展開。人々が周遊できるエリアに変える。さらに、北海道東トレイルともうまく連携して、トレイルタウンのような面も持たせる予定で、トレイルセンターやキャンプ場などを中心に、アウトドアアクティビティーを、より楽しめる拠点として整備していく計画もある。
「ここは子供の頃の遊び場でね。よく頂上まで登ったりしたもんだよ」
川湯温泉から2kmほどの場所にある硫黄山、アイヌ語では「アトサヌプリ」という山。川湯温泉の源でもあるこの山を眺めながら、弟子屈町長である德永哲雄さんが言う。
德永町長は、現在は息子さんに継承した付近の農家から74年間ずっと川湯温泉を見てきた。
「川湯温泉にも90年代には1日で3000人の宿泊客が来ていたりしていたんです。夜なんか歩けないくらいの混雑でね。やっぱりいまは、バス観光が少なくなってきたからね。だから合わせてこっちも変わらなきゃいけない」
その鍵となるのは弟子屈町が持つ自然という財産。
「自然景観はもちろんだけど、農産物も豊富だし、和牛も良い。地熱エネルギーも見つかった。弟子屈は恵まれた土地なんですよ」
植林なども積極的におこない、かつてあった森を再び取り戻す。木の高さと同程度になる3階以上の建物を作らないというルールも検討していて、まさに森に囲まれた温泉街を目指している。
マスタープランで掲げているイラストでは、一面の森の中に、ポツリポツリという感じで建築物が馴染んでいる様子が描かれている。規模感こそ違うものの、アメリカの国立公園のような雰囲気だ。
「弟子屈に住む人も訪れる人も、みんなが満足できる。そんな町にしていきたいんです」
これまでもワイナリーやチーズ工房など、新たな取り組みを積極的に牽引してきた德永町長。とにかくパワフルで行動力がある。地元愛ではち切れそうな人物だ。
川湯温泉街で、あたたかい温泉に足を浸しながら、阿寒摩周国立公園川湯地域運営協会の宮﨑健一さんから話を伺う。
足湯ではない。街中を流れる温泉の川。宮﨑さんたちが長年かけて清掃をしてきた場所でもある。
「酸性が強い温泉なので、微生物がいないんです。川床にも土がない。だから落ち葉などが分解されず溜まってしまう。その溜まった落ち葉が岸にある土に混ざってしまうと、腐敗が進んで悪臭を放ちます。だから地道に手作業で清掃しています」
夏場は特にたいへんだ。日差しと足湯の組み合わせ、作業が終わる頃には茹でられたようになるという。
川湯温泉の象徴とも言える、温泉の川を守り続けてきた宮﨑さんに、森の中の温泉街構想について伺うと「賛否両論あると思いますよ」という答えが返ってきた。
「いま川湯温泉に来てくれているお客さんって、少し寂れたというか、小さな温泉街が好きで来てくれている人が多いんです。だから今回のマスタープランにはあまり乗り気じゃない人も少なからずいます。もちろん、お客さんが増えるのは良い事です。でもこの川湯温泉にどこまで人が来るのが適正なのか、そのへんが難しいところですよね。なにが正解なのかいまの段階ではわからないというのが正直なところです」
宮﨑さんが小さかった1980年代当時の川湯温泉は、とても賑わっていた。それこそ夕方になると下駄を履いたお客さんたちがたくさん歩いていた。そういう景色は戻って来て欲しいという気持ちもありつつ、ただ近代化してただオシャレにすれば良いというわけではないと思っているという。
「大きな資本が入ってくるのは大歓迎なんですが、それだけの街になってしまうというのは避けたいです。だから地元民もこれを機に奮起していかないといけないですよね」
さらに「ここがどういう場所なのか、を明確にしたい」と、宮﨑さんは続ける。
「川湯温泉という地名のとおり、やはり街を流れている川そのものが温泉というのが最大の特徴だと思います。だから、川を中心にお客さまが街を巡れるような、そんな仕組み作りは大賛成です。いままでホテルの裏に隠れていた場所なので、ずっと清掃していた僕たちの団体としても長く望んでいたことです」
街中の川の周辺を整備してアクセスしやすくする。遊歩道を作り、そこに飲食店などが建ち並ぶ構想も進行中だ。たしかに、湯気立ち上るこのあたりが木々に囲まれたらさぞかし幻想的な場所になるだろう。いまでも冬になると、湯気が凍りつき街中でも樹氷やダイヤモンドダストが見られるという。
「もともと団体としても、清掃などがメインではなくて、地元の要望を行政に発信していくという目的で発足したんです。だからこれを機にもっと発信していかないと、と思うきっかけにもなっていますね。対話の重要性に気付かされました。地元をもう一度見直す良い機会です」
温泉の川は屈斜路湖まで続く。その途中まで、宮﨑さんと森を歩く。トレイルも明確ではない、深い原生林を川沿いに進むと、温泉の川と通常の川が合流する場所に着く。
左が水で、右が温泉。温泉の川からはうっすらと湯気があがっているのがわかる。ここは開発せず、そのままで良い。そう感じさせる野性味溢れる雰囲気の場所だ。
「流行りにのっかった、すぐにダメになってしまうようなものにだけは、なってほしくない。自然もそうですが、住んでいる人間にとっても持続可能なものにしていかないと」
宮﨑さんがポツリとつぶやく。
新しい可能性と地元民の誇り。その両輪がうまく噛み合うことでしか、自然を軸にした持続可能な観光開発は成立しないのだ。自然を良くするも悪くするも人間次第。それがこれからの観光地についてまわる課題なのかもしれない。
観光と環境の調和が取れた未来の温泉街。ひとつのロールモデルとなるのか。5年後に再訪したい場所がまたひとつ増えた。