最初に彼に案内されたのは、豊かなブナの森だった。
空からときおり舞ってくる雪、それが野沢温泉村の水の巡りの始まりだと、河野健児さんは言う。
ザ・ノース・フェイスアスリートである彼は、10代からスキークロスの選手として、世界各国のワールドカップに参戦。2014年に12年にわたる現役生活を終え、いまは地元である野沢温泉村の観光協会会長をつとめ、「グリーンフィールド」というキャンプ場を経営するなど、アスリートとしてはちょっと珍しいセカンドキャリアを築いている。
「野沢温泉村って、水の巡りを見るには最高の場所だと思いますよ」
水の巡りは、日本における自然と人との共生の根源。広大な上信越高原国立公園のなかで、野沢温泉村に焦点を絞ってみようと思ったのも、彼のそんな言葉があったからだ。
彼とともに豊かなブナの森を歩く。上信越高原国立公園の北端に位置する、標高1400mの場所だ。先ほどからブナについて丁寧に話してくれているのは、森紀一さん。姿勢の良い人だな、というのが第一印象だった。声が大きいわけではないのに、思わず耳を傾けてしまう。そんな話し方をする人だ。
そもそも水の巡りを追う旅の始まりがなぜブナの森なのか。そう河野さんにたずねると、促すように森さんのほうを見る。
「ブナはとても保水力の高い木です。巨木1本で10アール(300坪)ほどの田んぼを潤す、と言われたりもしますね」
緑のダムであり、天然のフィルター。ブナによって保水された水は、40〜50年かけてゆっくりと大地に染みこみ、里に湧き出すという。
ただ、ブナは人の住む場所近くに生育しやすく、さらに水分が多いために建材などに使いにくいという理由から、戦後すぐに多くが伐採され、杉に植えかえられてきた。
「“木”では“無”いと書いて“橅”ですからねぇ。だいぶ誤解されてきた過去があります。でも自然界の水の巡りには欠かせない存在です。人々の暮らしは豊かな自然がなければ成り立たないですから、残していかないといけませんよね」
森さんは、野沢温泉村の水の巡りの源であるブナの森の守人だ。「NPO法人おせっ会」を起ち上げ、さまざまな活動をおこなう中で生まれたのが「ブナの森100年構想」。小学生を中心にした植樹プロジェクトだ。植えられる苗木は毎年約1000本。一度壊れた自然を回復させるのは一朝一夕ではいかない。それを次の世代へと伝え、再生への道を探っている。
「ブナの木にはずいぶん世話になっているからねぇ」
「おせっ会」が、飲み屋の席で生まれたというのも、日常的な自然環境に対しての意識の高さのあらわれだろう。野沢温泉村の人々と自然がいかにシームレスに繋がっているかが伝わるエピソードだ。
「健児、おまえいくつになった?」
「もう40ですよ」
「そうか。まだまだこれからだなぁ」
40代と80代。子と孫ほど歳の離れた2人だが、その関係性は先輩後輩というより、家族のそれに近い。
いま降っている雪が里まで届くのは50年先の未来。
2人よりもさらに下の世代の頃だ。
「なんとなくなんだよ」。
「なぜ美味しいお米が作れるのか?」という質問にたいして、「野沢農産」の髙橋義三さんは先ほどからそう繰り返しているが、そんなわけがないのだ。髙橋さんが育てた米は、2012年ダイヤモンド褒賞を受賞。これは多くの会員がいる「米・食味鑑定士協会」が贈呈するもので、歴代わずか7人しか受賞者がいないという狭き門。
「やっぱり山(水)が良くなきゃ話にならない。山に入って土をとってきて田んぼにまくと良い米ができるって、うちの爺ちゃんなんかも言ってたね」
豊かなブナの森は米にとっても大事だということだ。山の木をぜんぶ切ってしまうと栄養分がない水が流れていくから、里はもちろん、海にまで影響が及ぶ。
「山を見るとだいたい分かりますよ。米が美味いところはだいたい広葉樹の森がある。秋田なんかもそうでしょう。鍵は保水力だね。落ち葉にも菌がたくさんいるしね。層状になった落ち葉を水が通過してくるわけだから、良くないはずがない」
ブナの森から栄養が流れてくるとすれば、野沢温泉村はまっさきに山の恩恵にあずかれる場所だ。やっぱり“なんとなく”なんかじゃない。「けっきょく水がいいとこの米が美味いんだよ」という髙橋さんの言葉に野沢温泉村の美味なる米の秘密の一端を垣間見た気がした。
野沢温泉村の中心地は立体的だ。小径がたくさんあるだけでなく、高低差がいたるところにあって、ちょっと迷路的な雰囲気がある。雪深いからか、地下にも広い空間がもうけてあって、そこに居酒屋さんがあったりもする。道迷い好きにはたまらない空間。そんな村の中心街を「桐屋旅館」の片桐アキラさんと歩く。
「野沢温泉村ではね、これ以上温泉は掘れないんですよ」という片桐さんの言葉に驚く。この村では、1984年に「野沢温泉村地下水資源保全条例」を制定し、温泉資源や水資源を法的に保護しているのだ。
せかせかと利益をもとめるのであれば拡張するのが手っ取り早い。しかし野沢温泉村の人々は、もっと先の未来を見越していた。近年、温泉地で温泉が涸れるというニュースを耳にする。しかし野沢温泉村ではそんな心配はない。村に13ある外湯の溢れんばかりの湯量は、今後もきっと変わることはないだろう。そして幾多の観光客を驚かせてきたその熱々の温度も。
片桐さんの話に耳を傾けながら坂道を登っていくと「麻釜」という場所に着く。別名、村の台所。「各家庭にガスコンロなんてない時代だったらまだしも、いまでもわざわざ温泉で野菜を茹でに来る。なぜならそっちのほうが美味しいから」
そう笑う片桐さんの背後では、村の人が野菜を茹でる姿があった。
湯けむりとともに、水はさらに流れていく。