流氷が紡ぐ命の巡り
知床には日本一がいくつかあるが、ヒグマの生息数やサケの漁獲高など、いずれも自然に由来するものばかりだ。知床の壮大かつ豊かな自然。それを根底で支えているのが流氷だという。流氷を起点とした命の巡りを体感したいという思いとともに、今年指定60周年を迎える知床国立公園を訪れた。
- 案内人
- 井村 大輔(環境省)
- 案内地
- 知床国立公園
今年も流氷がやってきた。
流氷は知床における生命の循環のキモだ。
いま眼前で白く輝く、まるで雪原のような流氷は、春の訪れとともに溶け出す。
日本的には北の果てだが、オホーツク海としてみれば最南端。流氷が来る場所としては世界でもっとも緯度が低く、温暖なのだ。春の強い日差しによって流氷が溶けるという希有な場所。
その際に、流氷に閉じ込められていたアイスアルジーと呼ばれる植物性プランクトンをはじめ、アムール川から運ばれてきた無機塩類などの養分も海へと流れ出す。その植物性プランクトンを食べる動物性プランクトンが大量発生し、サケ(マス)の食事となり、それを狙ってアザラシなどの海獣もやってくる。オジロワシ、オオワシなどの鳥類にとってもご馳走だ。そして産卵のために川を遡上したサケがヒグマのお腹を満たし、産卵を終えて死んだサケも、小動物から微生物までさまざまな生き物の養分となる。それらの排泄物が森を育て、豊かな循環の輪を作る。
そういった大枠の理屈は、公益財団法人 知床自然大学院大学設立財団の中川 元 さんから事前に伺っていた。流氷、そしてそれが支える野生動物たちの循環を辿るように、知床を旅するのが今回の目的だ。
知床の生態系は流氷、もっと言えばはるか北、アムール川流域から始まる。
さまざまな要素が奇跡的に揃っているから成立しているという背景があるので、いろんな立場の人の目線を借りて多角的にみる必要がある。
ウトロで長年漁師として生きてきた古坂彰彦さんによれば、かつての流氷は10m以上盛り上がっていたという。だがいまはせいぜい1m。明らかに減少している。気象庁の調査でも、年による上下動はあるものの、1970年代から常に右肩下がりだ。
いま見ている氷で埋め尽くされた真っ白な海は、もしかすると当たり前じゃなくなってしまう風景なのだ。
「海が変わるとすべてが変わってしまう。世界遺産になった理由も海と陸が一体になった複合生態系があったから。それを支えているのが流氷です」と中川さんが教えてくれる。
いまでは観光地的にも大賑わいだし、流氷の上を歩くアクティビティも大人気だ。ただ、流氷と知床の生態系の関係にきちんと目を向けている観光客は思いのほか少ないように感じる。
まずは象徴的なサケから行こう。
知床の川を遡上するのは、シロザケ、カラフトマス、サクラマスだ。
気温が氷点下15度まで下がった、知床らしい冬の朝。森 高志さんの案内でサクラマスの稚魚を見に行く。森さんは斜里町役場の水産林務課に勤める、いわばサケの現場を見ている人。「こういう浅いところにいるんです。見えますか?」と指差す先には、メダカくらいのサイズのサクラマスの稚魚が元気よく泳いでいる。すでに一丁前にサクラマスの形をしているのが微笑ましい。
この稚魚たちが来年の春には海へと泳ぎだし、数年間にわたるの海での生活を経て立派に成長し、産卵のため、ふたたび知床の川に帰ってくる。海から川へと栄養分を運ぶ。知床の生命の輪にとって欠かすことのできない存在だ。
いまは漁協と協力して、サケの自然産卵を増やす取り組みをおこなっている。これは孵化事業のためにもなることだという。
「野生で生まれる魚はやはり相当厳しい環境で育ちます。だから弱い個体は淘汰されて強い個体が生き残る。その強い野生児の卵が孵化事業にも使われることになるので、そちらの個体もおのずと強くなっていくはずです。いろんな取り組みをバランスよくやることがいまは大事だと思っています」
「ぜひ、100平方メートル運動地の川も見てみてください」という森さんの言葉に背中を押されるように、ウトロの先。森へと向かう。
ヒグマ、オジロワシ、オオワシ、シマフクロウ、シャチ。知床には生態系の頂点にたつ生き物がたくさんいる。それを支えているのが豊かなサケなのだ。サケが減ると、とうぜん頂点にいるものは食べるものに困る。
だから、頂点を保護したいのであれば、それを支える土台からみていかないといけない。その最たるものがサケであり、河川だ。
スノーシューを履き、ガイドの寺山 元さんとともに、雪深いイワウベツ川沿いへと分け入っていく。ここは「100平方メートル運動」というトラスト活動によって、保全・復元されてきた場所の一部でもある。一度人間の手によって破壊されてしまった野生を、人間の努力で復元しようとするさまざまな取り組みがされている。100年後、200年後を見据えた活動で、始まりは1977年に遡る。かなり先駆的な取り組みだ。
森の復元が中心だが、それだけではなく、生態系の再生にも力を入れている。だからとうぜんサケが遡る河川もその対象になる。森さんが見て欲しいと言っていた場所でもある。
赤イ川が合流するあたりで、寺山さんが足を止める。
「このあたりでは川を自然な形に戻すという取り組みもしています」
具体的には川幅を広げることで、流れの弱いトロ場と、流れの強い瀬、そして淵が生まれるようにした。さらに道路に並行するようにストレートな流れに変えられていた場所を、蛇行をするように、そこにある岩などを使って変えていく。ようは自然河川の姿に戻すという取り組みだ。人間の手で一度変えられてしまった川を、人間の手でふたたび自然の川に戻す。
川を自然の状態に戻していけば、サケの産卵環境も改善できるという。不要なダムの撤去など、他の地域ではなかなか見ない動きもある。
過ちを過ちとして認めることの大切さを感じる場所だ。
「原生に戻すといっても、人間がいないという状況にはもうならないわけですから、正解がなかなかわからない。ただ、みんながいろんな方向からあれこれ考える、ということがなにより大事だと思います」
サケが上がってくる秋には、さまざまな川で魚道整備もおこなっている。堰などで遡上が困難になった場所に人工的な通り道を作って、サケが帰ってくることができるようにするという活動だ。
先ほどの森さんを中心にした役場関係者、ボランティア団体、そして漁協の若手。さまざまな立場の人が、一緒になって知床の資源であるサケを守ろうとしているのだ。
残念ながらいまの科学技術では自然と直接対話することは不可能だ。どうするのがベストなのかは、人間が自分自身で考えなければならない。
人間が手を入れてしまったのだから、最後まで責任をもって手を入れ続けるか。逆に人間の介入をいっさいやめて自然の治癒能力に委ねるという考え方もある。
とても難しい選択だ。
だが、手付かずの自然が多く残されている北米などとは違い、知床はすでに人間が自然に深く入り込んでいる土地だ。おそらくは前者が適している。
野生動物の痕跡を探して、ガイドの若月 識さんと原生林へと入って行く。
エゾリスの足跡が楽しい。
木から下りてきて、急いで道を横切って別の木に登ったらしい。ちょっとリスクを冒してでも、道を挟んだ向こう側にある食べ物が必要だったのだろう。決死の覚悟で道を横切る様子を想像すると、なんだか微笑ましい。
「これは、ヒグマの爪痕です」
立派なトドマツにクッキリと残されている。ヤマブドウのツルが絡みついているところを見ると、どうやら木に登ってブドウをムシャムシャと頬張ったようだ。
クマゲラの食痕の大きさには驚いた。人の二の腕くらいの穴が穿たれているのだ。しかもそれが頻繁に見つかる。大きな体を維持するために、森中を飛び回ってエサを探しているのだ。毎年変えるという巣穴も多く見つかる。それを間借りしてモモンガが越冬したりするのだという。
「サルノコシカケっていうキノコを利用して庇付きの巣を作ったりもするんですよ。いろんな工夫が見えて、それぞれ個性的なんです」
クマゲラが木をつつく時に発するドラミングの音が聞こえないかと、しばらく耳を澄ませる。残念ながらドラミングは聞こえないが、雪が舞い落ちる音、ときおり吹きすぎる風、木々のこすれる音など、驚くほど多くの音が聞こえる。
「痕跡から想像力を働かせると、いろんなものが見えてくる。楽しいですよね」と若月さんが言う通りなのだ。無理に近寄って撮影しなくても、少々の知識と想像力があれば、気配だけでも十分に楽しめるはずなのだ。
近年、知床では人によるヒグマへの接近が問題になってきた。ヒグマを撮影したいがために、必要以上に接近しすぎてしまう人が後を絶たなかった。人慣れしてしまったヒグマは問題個体になりやすく、知床財団が中心となって様々な注意喚起をおこなってきた。2022年4月には改正自然公園法によって、国立公園内での野生動物への餌付けや接近などが規制対象となり、知床では2023年10月から、30m未満への接近と50m未満で付きまとう行為に対して、罰金を課すことも可能になった。
多くの写真愛好家や観光客も、野生動物が好きで知床に来ているはずだ。人間都合で近寄って、万が一事故が起こったりしたら、殺処分されるのはヒグマのほうなのだ。近寄って撮影することが格好悪い行為と捉えられるようになってほしいのだが。
「これはエゾシカの足跡です。深い雪の中を埋まりながら進んでいるのが分かりますよね。これを見ると、冬の鹿たちって大変なんだなあと思ったりします」という若月さんに導かれ、さらに進むと、木陰にぽっかりと雪がない部分を見つける。鹿の寝床だ。そしてその森の奥には寒さに耐えて静かに佇む鹿の姿があった。
鹿も必死に生きている。増えすぎて鹿の食害などと言われてしまうのも、元を辿れば人間の開発によって生息地を限定された結果だし、天敵だった狼を絶滅させたのも人間だ。
「この枝の先、鹿に食べられた跡です」と若月さんが教えてくれる。
何気ない倒木にも隠された意味がある。木が倒れたから、鹿が上の柔らかい芽を食べることができたのだ。
秋に見たサケの遡上のシーンも思い出される。力強い遡上の末、産卵後に命尽きてしまうサケたちの亡骸。いままさにカモメに食べられているものもいた。
知床は、なにかの死が、ほかの生へと繋がって行くのがよく見える土地だ。
「それだけ厳しいんですね。弱った鹿が死ぬのを待って、ずっと近くに待機していたキツネを見たこともあります」
森を抜け、オホーツク海へと出る。
断崖絶壁の氷り付いた滝に、流氷が押し寄せている。圧巻の景色だ。
「極地にでも行かないと普通は見られない風景です。何度見ても言葉を失います」
空を見上げると、上昇気流に乗ったオオワシが、気持ち良さそうに知床連山の方向へと飛び去っていく。
海からの風が強く吹いている。
流氷を運んできたオホーツクからの風だ。
風に乗ってやってくるのは流氷だけではない。
ヒグマとならんで知床を代表する動物。オオワシやオジロワシなどの海鷲たちだ。
「ワシがもっとも影響を受けるのは人間なんです。すぐ脇をクルマが走っていたりしても繁殖を続けるんですが、不思議なことにカメラマンひとりがすぐ近くで狙っていたりしたら、放棄してしまうこともあります」という中川さんの言葉を思い出す。
オジロワシは原始の森だけでなく、農地のすぐ脇、国道のすぐ脇などにも営巣している。最近では、オジロワシの営巣地が見つかると、その周辺での工事なども繁殖期を避けたりもする。過去には電線による感電死も多かったが、電柱に止まり木を作るなどの対策もしている。
「オオワシ、オジロワシともに、多いのは列車事故です。ちょっと不思議に思いますよね。都会じゃないし本数だって多くない。鹿が増えすぎていて、しばしば列車事故に遭うんですよ。その死体を食べに寄ってきた鷲たちも事故に遭ってしまう。国道沿いなどであれば、すぐさま鹿の死体も撤去できるんですが、線路沿いだとそうもいかない。なかなか対策も難しいんですが、専用のシートで鹿の死体をくるんでしまうという方法がいま試されています」
近年だと、オジロワシが風力発電の風車にぶつかってしまう事故も増えている。オジロワシ保護も風力発電も引いてみればどちらも環境を配慮した努力の形なだけに切なさがある。
環境省の井村大輔さんたちの海鷲調査にも同行させてもらった。定期的に同じ時間に同じルートを周り、個体数をカウントしていく地道な作業だ。
「今の時期は羅臼側のほうが多いんです。あっちはスケソウダラの漁期ですから、漁網から溢れたおこぼれを狙っているんです。ウトロ側はやはりサケがくる秋が多いですね。日によっては100羽以上カウントすることもあります」
この海鷲調査以外にも、知床では環境省が中心となって、さまざまな長期モニタリングをおこなっている。ヒグマ個体群、河川におけるサケの遡上数、産卵場所などだ。
この取り組みを始めて10年が経つ。何かが分かるとすればまだまだ先だが、こうした今の努力が現在への警笛となり、未来へと繋がっていくのだ。
オジロワシの巣はなんと畳2畳分ほどの大きさがあるという。道路脇にそれらしい物を見た気がしたが、中川さんの話を聞いた後だと、いたずらに刺激したくないという気持ちのほうが強い。撮影は控えることにする。
ウトロ漁港の流氷の上でなにやら作業している一団がいる。
アイス・フリーダイビングの世界記録を狙うチームだという。なんと無呼吸で流氷の下を126m潜水するという。流氷をチェーンソーで切って、エントリー用、緊急用、ゴール用と数カ所に穴を開けている。
長年ここで流氷フリーダイビングをしている高木唯さんの姿もある。高木さんが流氷フリーダイビングを始めた2013年に比べると、穴を開けるのが容易になってきているという。それはつまり、厚みなどが減ってしまっているということ。
高木さんたちが開催している流氷カップというイベントには、日本はもちろん、さまざまな国の人も流氷に潜りにやってくる。そうやっていろんな人に実際に触れて知ってもらうことが、流氷を守りたいという意識にも繋がっていく。
「今回の挑戦も、記録更新という目的以外に、まだこんなに流氷があるということを広めたいんです。いろんな人に興味を持ってもらうことで、流氷の大切さを知ってほしいという思いがあります」
「いつかなくなるかもしれない」という高木さんの言葉にドキッとする。
仮に流氷が来なくなってしまったとしたら、生態系に与える影響は計り知れない。
旅の最後に、知床世界遺産センターに勤務するAirdaさんに会いに行く。
音楽アーティストとしての活動もしている彼。知床には4年前にやってきた。特に思い入れがあったわけではなく、流れで、という知床では珍しいパターンだ。
これまで会ってきたのは知床と深い関わりを持ち続けてきた人たち。フラットな目線からの意見も聞いてみたかった。
Airdaさんの運転で、彼の通勤路をクルマで流す。
「この道を毎日往復していく。そういう日常の繰り返しの中で、知床の良さというものが段々と分かってきました。例えば、東京では意識しなかった風。風向きや強さによって体感温度がぜんぜん違うんです」
流氷が溶けて、春がやってくる。夏になるとサケの遡上がはじまり、秋には山のミズナラたちが黄色く色づく。そしてまた流氷がやってくる。この土地では四季の移ろいも否応なしに目に入ってくる。
「そのへんの用水路でもサケが遡上しているんです。そういう些細なことから自然との距離の近さを、ゆっくりと実感していきました」
東京から知床に来て、作る音楽もじょじょに変化してきたという。
「まだぜんぜん途上ですが、知床の自然、風景全体から感じることを作品に落とし込めたら、とは思っています」
知床で見るもの、聴く音、感じることを音に。壮大な計画だが、知床なら、という期待感も持たせてくれるのが、この土地の魅力でもある。
「知床の自然の中でも流氷が特に好きですね。ここに来るまで、流氷というと静、もっと言えば死のイメージを勝手に持っていたんですが、まったくの逆なんですよね。すべての生き物の根底にある」
彼がよく流氷を眺めるという海岸に着く。遠くで揺らめいているのは蜃気楼だ。
「僕が作る音楽は、けっして派手なものではないので、ちょっとシンパシーを感じるんですよね。こういう景色がようやく日常になってきた」
自然に興味がなかった人にも響く自然とその周辺環境。Airdaさんのような人がもっと増えることが自然のためにも必要なことだと思う。
東京に戻って、彼が作った音楽に耳を澄ます。目を閉じると知床の景色だけでなく、空気を感じるのは、今回の旅で知床を、より深く知れたからだろうか。
流氷と野生動物の痕跡を追った結果見つかったのは、それを守りたいと願う人間の存在だった。会う人みんなからそれぞれの形の、この土地に対する好きが伝わって来た旅でもあった。
知床に住む動物としての人間、という感じなのだ。肉体的にも精神的にも、豊かな自然を享受している場所。
恵みもあれば脅威もある。美しさもあれば厳しさもある。
それだけ野生が近い土地なのだ。
そんな知床から学ぶことは多いが、強く感じたのは、人間は循環の輪の中に戻る必要があるのかもしれない、ということ。
海、川、森。そして多様な生き物たち。
すべては複雑に絡まり合っている。もちろんそこには自分たち、人間も含まれている。破壊するだけではない、人間だからこそできる、自然界における役割だって、きっとあるはずだ。