そもそもなぜ人は山を畏れ敬うのか。
登ることで見えてきたものだけでは片手落ちだ。そう感じた翌日は山麓をめぐることにする。向かったのは石徹白(いとしろ)と呼ばれる地。100軒250人ほどの集落だという。
石徹白を選んだ理由は、白山登山中に見た美しい沢が目に焼き付いていたからだ。
「はるか向こうの石徹白という集落の方に流れているんです」と染谷さんが教えてくれた。
豪雪地帯に位置する白山は、冬は雪で真っ白に輝くことからその名前が付いたという説もある。当然、春になれば豊富な雪解け水が麓へと流れていく。
白山を水源とする場所は全国でも最大級。石川県を流れる手取川、岐阜、福井県の九頭竜川、岐阜県から愛知県まで続く長良川、そして岐阜県、富山県にまたがる庄川。川の流れは水の恵みに直結する。だからその源である白山は周囲のさまざまな場所からありがたがられる存在だったのだ。
石徹白は岐阜県側にある。宿泊していた石川県側の白峰からは、クルマでぐるっと白山を回り込むことになるから、ゆうに2時間以上かかる。でも、山を伝えば、直線距離的には隣の集落といっても良い位置関係だ。
途中で、郡上市白鳥町にある阿弥陀ヶ滝に立ち寄る。落差60mの堂々とした滝で、滝壺のすぐそばまで降りていくことができる。かつては白山への登拝者が立ち寄って身を清める場所だったという。滝の裏側は修行場でもあり、いまでも菩薩像が祀られている。
石徹白の集落に着いて、2017年にここに移住してきたという大西琢也さんと合流する。
「僕が最初にここに来たときに感じたのは、どこにいても水の気配があるな、ということです」
湧水がいたるところにあって、その元を辿っていけば、とうぜんすべてが白山へと繋がる。地元の人は、日常的にポリタンクなどを持参して生活水として利用しているという。古くから用水路も整備され、山の栄養をたっぷりと含んだ水が田畑に注がれる。美しい石徹白川にはたくさんのイワナたちが住み、多くの釣り人が訪れる。縄文時代から人が住んでいた痕跡があることからも、いかにこの地が特別だったのかがわかる。
そんな石徹白の里に、近年あらたな動きがあった。
それは小規模水力発電。中心人物である平野彰秀さんは、2011年に石徹白に移住してきた。
「とくに白山信仰を意識してここに来たわけではなく、単純に水が豊かなので、水力発電が可能なのではないかと思ったのがきっかけです」
この石徹白はそもそも、山奥の秘境だったため公共の電気が来るのが遅かった。そのため1923年に集落で水力発電所を作り、1955年頃まで独自で電力を賄っていた背景があった。もともとエネルギーを完全自給していた場所だったのだ。
「この集落は、衣食住の繋がりも見えるし、ご先祖様がこれを作ったから、いまこれがある、というような、先祖代々の命の繋がりも見える。その元となる水がどこから来ているのかも分かりやすい。水で発電するというのは、単なる水という物体で発電するというよりは、自然の恵みから農作物を得るのと同じように、自然から電気というエネルギーを得ている、という感覚です」
山の恵みの現代アップデートバージョンともいえる、きわめて白山信仰的なエネルギーの得かたなのだ。いまではそこで発電した電力によって、石徹白に一定の富をもたらしている。
そんなことを話していると、軽トラックに乗った女性たちが、にぎやかにやってきた。平野さんの奥さまの馨生里(かおり)さんが店主を務める「石徹白洋品店」の面々だ。荷台には拾ってきたという栗の殻が満載。服を染める染料にするのだという。
石徹白用品店は、この地で受け継がれてきた伝統衣をベースに、さまざまなウェア作りに取り組んでいる。「たつけ」という石徹白に古くからある野良着も現代風にアレンジして復活させるなど、いまや全国から人がやってくる人気店だ。
他にも、地元の人の聞き書き集や、民話をもとにした絵本の出版なども手がけている。平野さんはじめ、石徹白には多くの移住者がいるが、常に古くから石徹白に住む地元の人へのリスペクトがある。
「僕らが受け継げるものはほんの一部でしかないですが、古くからここに住んでいる人たちの自然観とか、そういうものはできるだけ繋いでいけたらと思っています」
コンビニはない。自販機も数個。ただし美味しい水はそこらじゅうから湧いているし、農作物もよく育つ。250人の集落だが、その恵みはゆうに1000人を養えるほど豊かだという。集落を歩いていると、玄関先に無造作に置かれた2つの白菜。お裾分けだ。
そんな何気ない風景に、かつての日本の姿を見た気がした。
「豊かでありつつ、同時に厳しさもある自然に囲まれているからこその、人の繋がりがあるところが石徹白の良い所だと思います。人を信じて生きていきやすい」
今回、石徹白を案内してくれた大西さんの言葉に、都会とは違った豊かさの形があることに気付かされる。
文字通り白山のもたらす豊かさに支えられてきた暮らし。ただし、とうぜん冬は雪深く、厳しい面も多々ある。大雪が降った後の雪かきは家族総出の大仕事だ。ある移住者は、石徹白に住むと決める際「冬を経験してから、本当に住めるか判断しなさい」と、古くからこの地に住む人に何度も念押しされたという。
白山山頂で思わず手を合わせてしまう感覚が山岳信仰の“素”だとしたら、白山が山麓の暮らしにもたらす豊かさや厳しさは “理”の部分かもしれない。ここに暮らす昔の人々が、山に、ひいては神に、生かされているという気持ちになったのもうなずける。それがいまでも継承されているのが石徹白という場所なのだ。山岳信仰に“そもそも”なんてものはなく、それこそ長年の暮らしを通じて、自然発生的に生まれたものなのだろう。山岳信仰は自然の巡りに対する敬意だ。お金と交換すれば、なんでも手軽に手に入れることができる時代だからこそ、いまもう一度、見直す必要があるのではないか。
ふと耳をすませば、どこかで水の流れる音がする。そして目線の先には、西日に輝く白山連峰の美しくも厳しい姿があった。