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霊峰・白山がもたらす恵み
山岳信仰の「素」に触れる
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- お池巡り
- 山岳信仰
- 白山国立公園
撮影:木本日菜乃
文:櫻井 卓
登ることで自然と生まれる山への畏敬
日本には霊山と呼ばれる場所が数多くある。
そもそもなぜ人は山を崇め、同時に畏れるのか。
こうべを垂れ、一歩一歩石段を上がっていく。白山連峰の最高峰である御前峰への最後の登りで、そんなことを考えていた。
白山国立公園には、その“そもそも”が腑に落ちる形で残されているのではないかと期待していた。白山は、富士山、立山と並ぶ日本三霊山のひとつ。いまから1300年以上前に泰澄大師によって開かれ、平安時代から白山修験で栄えた、日本における山岳信仰の中心地のひとつだ。

現在では、白山最高峰である御前峰を日帰りできるコースも設定されていて、その雄大な景色を楽しみに訪れるハイカーも多い。今回歩いたルートは、石川県側の別当出合から入って、砂防新道を通り、南竜山荘を経由して標高2702mの御前峰を目指す。
スタートしてから2時間ちょっとで、甚之助避難小屋に着く。避難小屋としては珍しく環境省が直接管理している小屋だ。そこから少し上がったところにある分岐を右に行くと、気持ちの良い水平移動の道がつづく。20分ほど歩くと、南竜山荘が現れるのだが、そのロケーションが驚くほど素晴らしい。
「山荘2階部分にあるテラスから眺める夕陽も最高なんですよ」と、今回の白山登山に同行してくれた、環境省の染谷祐太郎さんが教えてくれる。テント場も広々していて美しい山並みを望めるし、なんとグループで貸し切りできるコテージも用意されている。まるで山岳リゾートの様相なのだ。山岳信仰に触れる目的だったはずが、すっかりFUNのほうに振り切れてしまっている。

でも、ここからが本番だった。南竜山荘からは、トンビ岩コース(石徹白道)を上がっていくのだが、これがなかなか登らせる。しかし道自体はおどろくほどしっかり整備されている。
「ここは環境省が主体となって最近整備した場所なんです。実は禅定道の一部でもあるんですよ」
染谷さんが言う禅定道とは、かつて白山参拝に訪れた人々が歩いた道で、越前禅定道(白山禅定道)、加賀禅定道、美濃禅定道の3つがある。信仰として山に登る“登拝”の道だった場所。
「いまでも麓の人々は白山への想いが強く“白山のことなら”という感じで、整備などを含めすごく助けてくれます。ほとんど儲けのでないような登山道整備をしてくれる業者さんもいます」
それにしても、なかなかの急登だ。基本的にどの禅定道も急で厳しいという。過去に修行の一環として登られた道だから当然と言えば当然。ゆっくりと歩を進め、途中でひと息つこうと振り返ると、白山連峰の山深さを実感する。過去の人たちがここに神を見いだしたのも納得できる風景だ。


「この道を整備した人たちが『禅定道は道としてよくできている』と言っていました。崩れにくい箇所をしっかりと見極めて付けられているって」と、染谷さんが言う。たしかに段差自体はキツいものの、踏んでいく岩々にどっしりとした安定感がある。
平日ということもあってか、この日の登山者はけっして多いほうではなかったけれど、山岳信仰が盛んだった時代には、美濃禅定道で「登り千人、下り千人、宿に千人」という言葉が生まれるほど、多くの登拝者が訪れていたという。
ゆっくりと、さらに登り続けて2時間ほど。唐突に巨大な建造物群が現れる。ここ、白山室堂には5つの宿泊棟をはじめ、売店や診療所もあり、現在の白山登山の中心地になっている。時間を1000年ほど巻き戻すと、かつては多くの修験者たちが修行した地。いまでは立派な鳥居があり、その奥には白山奥宮祈祷殿もある。

鳥居の前で二礼二拍一礼をしたあと、御前峰への最後の登りに向かう。石段を一歩一歩踏みしめて登っていく。山頂は見えているのだが、ここからが長い。時間にすれば40分ほどなのだが、体感としてはそれ以上。額に汗し、登りきった先には、ポツンと佇む奥宮の姿があった。
なんというか、達成感の大きな山なのだ。日帰りのコースでこれだけの達成感を味わえるのだから、いまよりもはるかに険しい古の禅定道を、数日かけて歩ききった人々が、雄大な山頂で味わった感慨深さは、それこそ神に触れるような体験だったのではないだろうか。当然、雪崩や土砂崩れ、滑落などによる犠牲者も、現在に比べれば段違いに多かったに違いない。そこにはやはり畏れが存在したはずだ。
ここに来て、山岳信仰という言葉が以前より響く感覚がある。

山頂に到着後は、お池巡りをしながら下山していく。ここには大小さまざまな火山湖があり、それらを巡るコースが設定されている。エメラルドグリーンの翠ヶ池や、一年中解けることがない多年性雪渓である千蛇ヶ池もある。この池には伝説があり、泰澄大師が白山を開いた頃に、多くの毒蛇たちをここに封じた場所なのだという。
これらの火山湖のほかにも、ガレ場、高地湿地、つづら折れの道、そして神社。白山はある種、日本の山の滋味深さを凝縮したような場所。次はもっと長く歩いてみたい、そう思わせてくれる山だ。


下山途中、ふと振り返ると、その山容の巨大さにあらためて気づく。よく登ったなあという感慨とともに、山頂での景色がふっと蘇る。
苦しい登りを終え、頂上にたどり着いた登山者が顔を上げ、パッと笑顔になる瞬間。自然な感じで奥宮に手を合わせていた人も多い。
おそらくいまの登山者で信仰のために登っている人はごくわずかだと思う。それでもふとした瞬間に畏敬の念を抱かせるものが、この白山には色濃く残っている。大仰に有難がるのではなく、自然と頭を下げ、手を合わせたくなる感覚がある。
そこに、山岳信仰の“素”の側面を見た気がした。
