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#6

北方という厳しい環境における
未来へ向けた自然と人との対話
(3/3)

  • サロベツ原野
  • タンチョウ
  • 利尻礼文サロベツ国立公園
  • 利用と保護
  • 酪農

撮影:木本日菜乃
文:櫻井 卓

人間の営みと湿原の保護を両立する
「保護と利用」の未来像にサロベツで出会う

サロベツ原野には日本最大の高層湿原がある。そしてその隣には、このあたりの特徴的な牧場風景。名産である牛乳を生み出すたくさんの牛たちも暮らしている。
湿原は低層、中間、そして高層の大きく3種類に分けられる。高層湿原とは、泥炭が厚く堆積し、地表が周囲の地下水位より高くなった湿原のこと。有名どころだと尾瀬ヶ原が挙げられるが、実はサロベツ湿原にある高層湿原は約650ヘクタールで現在日本一の範囲を誇っている。だが、元々この地には約1400ヘクタールの高層湿原があったのだ。だからこそ、ここで食い止めなければならない。
そんな危機的状況に対処するべく、2005年に関係行政機関、地域住民、NPO、専門家等で構成された上サロベツ自然再生協議会によって「湿原の自然再生」、「農業の振興」、「地域づくり」を目標に掲げた全体構想が作られた。それに基づいて計画されたうちの一つが、緩衝帯を設けるという選択肢だ。

湿原と牧草地が隣接しているため、湿原は乾燥し、牧草地の地下水位が高くなるという現状を、両者の間に緩衝帯を設けることで湿原の水位を上げ、牧草地の水位を下げることが目標だった。
しかし、緩衝帯を作るにしても保全対象である湿原側を削るわけにはいかない。そのような中、農地を緩衝帯として提供するという案が出てきた。

当然、酪農家側からは「利益に反する行為をしてまで湿原を守る必要があるのか?」という声も上がった。利益と保護、その間に立って、大きな役割を果たしたのがサロベツ農事連絡会議の議長を務める山本寿昭さんだった。

「そりゃあ、説得は大変でしたよ」。
その話し声だけでも懐の広さや大らかな人柄がわかる山本さん。思わずみんなが付いていきたくなる、そんな雰囲気がある。
「先祖がたいへんな苦労をして開拓した土地でもあるからね。はいそうですか、とはいかない」
そんなときに、山本さんがとった行動は、緩衝帯、ひいては湿原の保護についてもっと深く知る努力。
「知ってから議論しようと思ってね。なにも知らないのにただダメだ、ダメだでは話が前に進んでいかない。結果、知れば知るほどサロベツの湿原がいかに貴重なものかがわかってきた。そこからは話し合いの繰り返しだよね」
緩衝帯として農地を提供することになるのは6ヵ所。土地の面積は25ヘクタール。当然、緩衝帯の範囲に該当する農家さんの負担が大きい。
「だからみんな同じ立場になるべ、と呼びかけた。農家みんなでその負担を折半する仕組みを作り上げたんだよ。まあ、大変だったけどね。でも根気強く話せば分かるんだよ、人間同士なんだから」
この保全事業によって、酪農家、環境省、自然保護団体、漁協など、これまで繋がりのなかった人たちが交流する機会ができたというのも大きいという。

「やっぱりコミュニケーションだと思うよ。自然環境と人間の営みという相反するものをどっちも大切にしていこうとしているんだから。自然、自然っていうけどね、やっぱりいろんな立場の人間同士がチームとして仲良くやっていかないと環境を守っていくことは難しいと思うよ」
自然との対話の前に人同士の対話もまた重要だと気付かされる。山本さんのすすめに従って、別の視点で湿原を見守っている人の話を聞くためにサロベツ湿原センターを訪れる。

肩くらいまで伸びた牧草をかき分けながら、サロベツ・エコ・ネットワークの長谷部真さんと、緩衝帯まで歩く。
遠目では草原が広がっているようにしか見えなかったが、緩衝帯の中に立ってみると、左が牧草地、右が湿原という感じに植生がくっきりわかれていることに気付く。
酪農家の人々が文字通り身を切る思いで託した緩衝地帯だけでなく、環境省を中心に高層湿原を守るためのさまざまな試みがなされている。
中でもササ原の拡大には苦戦している状況だという。水位が下がった関係で、湿原にササが侵入してきているのだ。
ササの刈り払いもおこなっているが、これは毎年継続しなければ、またすぐに生えてきてしまう。
「こっちに来てみてください」と長谷部さんが呼ぶ方に行くと、土が剥き出しになったエリアにでる。

「これは、地表面を剥ぎ取ることで、ササを根ごと除去し、ササが再生するのを抑制できないか試している場所なんです。数年でモウセンゴケなどが戻ってきているのですが、重機を入れるので、コストがかかり一緒に生えている湿原植生も除去してしまうことが難点で、なかなかベストな対策を見いだせていない状況です」
少ししゃがんで観察してみると、モウセンゴケ、ツルコケモモなど高層湿原特有の植物たちが見えてくる。
湿原を守るということは、景観を維持することだけが目的ではない。同時に湿原に住む動植物を守るということでもある。

この湿原には鳥もたくさん住んでいる。その数は200種を超えるといわれており、日本でここにしかいないシマアオジなど希少種もいる。最近ではタンチョウも繁殖を始めているし、オオヒシクイの日本最大の中継地がペンケ沼にある。
長谷部さんは、そういった湿原に住む鳥たちの調査・保護もおこなっていて、毎日大忙しだ。
「自然があるのが当たり前なのではなく、守っていかないと湿原もなくなるし、野鳥もいなくなるということを、まずは知ってもらうのが大事だと思っています」
サロベツ湿原を守るために、さまざまな立場の人が動いている。豊富町役場もその例外ではない。上サロベツ自然再生協議会の事務局としての公的な関わりだけではなく、サロベツ湿原をPRする「サロベツ・エコモ➰・プロジェクト」では、役場職員の山形雅弘さんが職員としての業務ではなく、プライベートでサポーターとしての活動をしているというから驚いた。
翌日の早朝、湿原で耳を澄ませてみると、360度あらゆる方向から鳥たちの囀りが聞こえることに気付く。これも“知る”ことによる良い影響。小さいことからでも良いのだ。

今回利尻礼文サロベツ国立公園で出会った人々は、みな自然に対しての謙虚さがあった。
人の利益を追求した結果がいまの環境破壊になっているとするなら、変わらなければならないのは人間のほうだ。
「まずは知ること」と、皆が口を揃えた。それによって初めて、未来へ向けた人間と自然の対話がはじまる。
そして敬意をもって接すること。人と自然も、人間同士でもそれは同じことだ。

People

取材に協力してくれた人たち

サロベツ農事連絡会議会長

山本 寿昭

豊富町で酪農を営むかたわら、湿原の保護活動にも積極的に参加。「上サロベツ自然再生協議会」においても、重要な役割を果たしている。2017年には「サロベツ湿原再生を目指す農地と湿原の共生」の取り組みが評価され、農業農村工学会賞「上野賞」を受賞。

サロベツ・エコ・ネットワーク

長谷 部真

環境省の案内施設「サロベツ湿原センター」を拠点とするサロベツ・エコ・ネットワークでは事務局長をつとめ、生物環境保全を担当。湿原の保護・管理のほかにも、野鳥の調査なども手がける。湿原保護のバックヤードツアーも定期的に開催している。

豊富町役場

黒川 和樹(右) 山形 雅弘(左)

サロベツ湿原がある豊富町役場の職員。黒川さんは商工観光課で、サロベツ湿原を広く知ってもらうために様々な試みをおこなっている。山形さんは業務としては関係ないながら、プライベートで「エコモープロジェクト」を運営。