#15
互恵で成り立つロングトレイル
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- ロングトレイル
- 三陸復興国立公園
- 加藤則芳
撮影:木本日菜乃
文:櫻井 卓
日本の国立公園はロングトレイルと相性が良い。
歩くことで国立公園が持つ魅力のひとつでもある歴史文化、地元の人々と触れやすいからだ。
今回は三陸復興国立公園を縦断しているみちのく潮風トレイルを、ゴールドウイン取締役副社長COOである森光とともに歩く。波がつくり出したリアス海岸、深い森、小さな漁港、震災遺構――。
道を歩けば、その土地に暮らす人々と出会う。
みちのく潮風トレイルが繋いでいるのは、景色だけではない。人同士の関係でもある
トレイルが育むもの
この道を語るうえで、まず触れなければならない人物がいる。故・加藤則芳氏だ。
国立公園の父と呼ばれるアメリカのナチュラリスト、ジョン・ミューアを日本に広めた人物。日本にまだロングトレイルという言葉が定着する以前から、アメリカをスルーハイクしてきた生粋のハイカーでもある。
日本の環境保全、ロングトレイルの普及に尽力し、国立公園の在り方にたいしても常に提言を続けてきた。
そして、このみちのく潮風トレイルの生みの親とも言える存在だ。
「“トレイル作りは、まずは設定者自らがハイカー目線で歩いた上で計画すべきだ ”というのが加藤さんのご意見でした」
みちのく潮風トレイル発足前からプロジェクトに関わってきた環境省の櫻庭佑輔さんは、当時を振り返る。まだ震災直後。町は瓦礫で覆われていた。
コース設定のために、1人で現地を歩き、調査結果を加藤氏に報告。それに対する助言を得ることで、少しづつトレイルづくりを理解し 、道を繋いでいったという。
「加藤さんはどのような反応をされていたんですか?」と森が尋ねる。
「必ず、もっとこうしたほうが良い、といったようなご意見をくださりました。すでにご病気を患われていましたが、トレイルの話になると目が輝くんです。精神的支柱でした。全てできたわけではないですが、加藤さんがおっしゃっていた方針を、ブレずに実現できた部分は、このトレイルの魅力と永続性の核になっています 」
“官民連携で取り組むこと”というのも、加藤氏が強く希望したことだという。
「ロングトレイルは作って終わりではないですから、それを維持管理していく必要があります。それには国から都道府県、市町村へと 補助金を出すだけでは十分ではありません。地域の方に関心を持っていただかなければ成り立ちません。そのためには行政と地域の方を繋ぐ民間組織が必須である、というのが加藤さんのお考えでした」
環境省をはじめ、4県29市町村の関係自治体、民間団体、地域住民の協働により、みちのく潮風トレイルが全線開通したのは、2019年6月のこと。


話を伺ったのは名取トレイルセンター。壁にはみちのく潮風トレイルの地図が大きく張り出されている。加藤則芳氏の蔵書やザックなどの展示、日本各地のロングトレイルの情報、関連書籍、さらにロングディスタンスハイキングに必要な装備類が揃うショップもある。まるでアメリカのビジターセンターのような充実度。これからの旅の期待値を高めてくれる、トレイル文化の発信基地だ。
森は、『民俗学の旅』『忘れられた日本人』などの名著を残した民俗学者、宮本常一の本など、ここの蔵書に反応している。
「宮本常一さんの考え方は、ロングトレイルに通じるものがあると思っています。宮本さんの、歩くことで世界を識るという行為と、加藤さんの環境保全。どちらもみちのく潮風トレイルが大切にしている部分です」と、「みちのく潮風トレイルアソシエーション」事務局長の相澤久美さんが言う。
「これまでも、いろんなロングトレイルに関わってきましたが、7年でここまでくるとは、という印象です。関わる全員の真剣さがこの短時間でここまでのトレイルを作れた原動力だと思います」
そう続けるのは、アドバイザーとして開通前から関わってきた「トレイルブレイズハイキング研究所」の長谷川晋さん。アメリカ西海岸のパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)スルーハイカーでもある。
「とはいえ、まだ課題もたくさんあります。でも、視察でアメリカのアパラチアン・トレイル(AT)に行った時に知ったのは、100年経っても課題だらけだということです」
それなら私たちは長く繋いでいけるシステムを作ろう。トレイルは変化し、育てていくものですから、と相澤さんが続ける。
「このトレイルを見て、加藤さんがなんと仰るか、ということは常に考えています」
生みの親と育てる人たち。それぞれの想いは、いまも繋がっている。

この日泊まる宿「ペンション ヴィラプチろく」は長谷川さんが調査のためにスルーハイクしたときに立ち寄った思い出の場所。8年前調査のために訪れた時はは、まだ震災の被害が色濃く残っていたという。
「飛び込みで泊めていただいただけでなく、僕がものすごくお腹が空いているように見えたんでしょうね。朝食までご馳走していただいて。海を見ながら女将の千葉さんさんといろいろお話させてもらって」
「長谷川さん、ここの話するとよく泣くよね」と相澤さん。
「スルーしてください。でもそれぞれ泣けるエピソードを持っているハイカーは多いですね」と長谷川さんが返す。
ここはいま、ハイカーフレンドリーな宿になっている。敷地内にテントを張れるようにし、シャワーも有料で借りられる。希望すれば、翌日のおにぎりも握ってくれるという。
「震災の時にいろんな人が心配してくれた。それだけでありがたい。少しでも恩返しできるなら、こんなに嬉しいことはありません」という女将さんの言葉から、あらためて、このトレイルが人同士の繋がりで成り立っているということを感じる。


夕食を終えると、すぐそこで地元の人が焚き火をしているというのでお邪魔させてもらう。この「焚き火ーる」という会を主催している小野寺さんは、地元・本吉町出身。サポーターとしてハイカーを受け入れ続けている。
「僕自身はハイカーではないんです。ただ、ハイカーと触れあうことで、人生が豊かになりました。それと同時に、震災の恩返しがしたいという気持ちがあります。ボランティアの人に直接返せないなら、来てくれるハイカーへ」と女将と同じことを言う。
「トレイル憲章は子供に伝えたいくらい素晴らしいと思っています」と小野寺さんは続ける。
みちのく潮風トレイル憲章は、以下の6つからなる。
“美しい風景と風土を楽しむ道とします。”
“地域に暮らす人々とこの地を訪れる人々の間にこころの交流が生まれる場所とします。”
“自然の優しさと厳しさを胸に刻む道とします。”
“震災をいつまでも語り継ぐための記憶の道とします・”
“豊かな自然・文化を次世代へ受け継ぐ道とします・”
“歩くことを愛する全ての人々を歓迎し、皆で育てる道とします。”
ハイカーだけでなく、トレイルに関わるみんなが共有する理念としてのトレイル憲章なのだ。それが地元の人にも馴染んでいることに嬉しい驚きがある。
焚き火には次々と地元の方がやってくる。こういう触れ合いがハイカーとの間にもあるのだという。そして、この本吉町のような地域がトレイル上にはたくさんある。
森は長谷川さんが語る日本各地のロングトレイルの話を興味深く聞いている。長谷川さんは現在、能登でもトレイル調査をおこなっているという。
森はその話に身を乗り出す。
「みちのくが前例になれば、能登でもきっと生かせますよね」

みちのく潮風トレイルを成功させることで、能登をはじめ、これから復興に向き合う地域にとっても大きな希望になる。
海外からも数多くのハイカーがこのトレイルを目指して訪れているというし、トレイルにちなんだワインなども生まれ、トレイルにまつわる新たなビジネスも増えている。トレイルきっかけで移住してきた人もいるというから、地域創生としての役割も果たしているのだ。
「みんなでゆっくり育てているトレイルなんです」と相澤さんが焚き火を見つめながら言う。
みちのく潮風トレイルが生んだのは、1本の道だけではない。ハイカーと地域の人が出会い、支え合い、また次の誰かに受け渡していく関係そのものだ。道は地図の上だけで続いているわけではない。人と人の間にも、静かに伸び続けている。




