#15
互恵で成り立つロングトレイル
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- ロングトレイル
- 三陸復興国立公園
- 気仙沼
撮影:木本日菜乃
文:櫻井 卓
旅人としてのハイカーの役目
翌日は、半島を歩いていく。
気仙沼市。半造から入り唐桑半島をぐるりとまわる。
ガイドの熊谷羊さんはこの辺りが地元だという。ハイカーと地元住民を繋ぐ上で、こうした人の存在は欠かせない。いわばパイプ役とも言える人が、ここだけでなく各地に存在しているというのも、みちのく潮風トレイルの強みだ。
もうひとりの同行者は環境省の渡辺謙克さん。みちのく潮風トレイルは、休日を利用して、幾つものセクションに分けて全ルートを4年かけて歩いた。
「セクションで歩くということは、地域の公共交通機関などを利用する必要が出てきます。どこにクルマを置くか、ゴール地点からスタート地点までどうやって戻るかなど、全線を通しで歩くスルーハイクとは、またちょっと違った旅のプランニングができて楽しいです」
歩く際には常に、みちのく潮風トレイルのパンフレットを数冊 持ち歩いていたという。

「私が歩いた時はまだまだ知名度が低くて、どうしてこんなところを歩いてるの?って地元の人に言われることも多くて。だからパンフレットを広げ、地元の人に説明しながら手渡していました 」
自分たちの集落を通る道 が、1000kmを超えるロングトレイルの一部になっている。その事実に驚く人も少なくなかったという。いま、地元の人たちがハイカーフレンドリーなのは、足を使った地道な広報活動の影響も大きいのだろう。


森は頻繁に地図を出して確認しながら歩く。
「この地図、とてもよくできていますね」
みちのく潮風トレイルアソシエーションが発行しているハイキングマップブックは全10冊、さらにデータブックも用意されている。宿や商店だけでなく、キャンプが可能な場所や給水ポイントなどが事細かに記されている。長谷川さんいわく、このみちのく潮風トレイルは、戦略性が高いという。特に女川から北のエリアは自販機なども少なく、補給計画などが重要になってくる。だから、こうしたデータが必須になってくるのだ。


リアス海岸をなめるように南下して行く。浜に下りられる場所にある、巨大な岩をガイドの熊谷さんが指差す。
神の倉の津波石。その名の通り、3.11の津波によって海底から押し流されてきた巨大な岩。大きいもので直径約5メートル。重さは推定150トンだという。
「こんな巨大なものが」と、森も津波のエネルギーに言葉を失っている。
「少し、私の話をしても良いですか」
表情を引き締めて渡辺さんが震災の時を振り返る。
「地震が起きたとき、地元、田野畑村の高校生と一緒に浜辺の清掃活動をしていたんです。揺れと同時に断崖絶壁から次々に落石がおきました。次は津波が来る。急いで20名程の生徒と先生を高台に避難させて事なきを得たのですが、津波の来襲とは紙一重でした。その浜辺はトレイルのルートの一部になっています。 」
いまでも、奇跡的に生き残ることができた、という感覚があるという。
震災を想いながら歩いていく。このみちのく潮風トレイルは、悼むトレイルでもある。この道には、美しい景色だけではなく、震災の記憶を歩いて受け継ぐという役割がある。


少し進むと、パッと景色が開ける。心地良さそうなキャンプ場。そこに品の良い、外国人の姿がある。みちのく潮風トレイルに魅了され、奥さまとともに唐桑に移住してきたジョナサン・ロイドオーエンさん。このキャンプ場に泊まるハイカーのためにビールを差し入れたこともある。 自宅の前をハイカーが通り過ぎるのをいつも楽しみに待っているという。ハイカーを待つ人がいる、そんな土地なのだ。
小鯖漁港は、小さな漁船がいくつも浮かび、日本らしい漁港風景が広がっている。みちのく潮風トレイルのルート上には、大小251の漁港があるという。個性豊かな漁港を巡れるというのも、このトレイルの魅力のひとつだ。
ハイカーがよく宿泊するという「リアス唐桑ユースホステル」に立ち寄る。迎えてくれたのはオーナーの三上忠文さん。ニコニコと笑顔を絶やさない。この宿をはじめて50年。震災の時にはボランティアを受け入れ、いまでは多くのハイカーが訪れる。スタッフの犀川由香利さんは、ボランティアの際にここを拠点としていて、そのまま移住してきたという。三上さんの人柄が伺えるエピソードだ。
アットホーム、という言葉がぴったりの場所だ。こうしたハイカーフレンドリーな宿がルート上にたくさんある。ハイカーからすると、歩けば歩くほど、帰ってきたくなる家のような場所が増えていくのだろう。
「次は一緒に呑みましょうね」と、三上さんが朗らかな声で見送ってくれる。

この日の目的地である早馬神社には、震災当時の様子が写された1枚の写真がある。いまの穏やかな風景からは想像しにくい、徹底的に破壊された街の様子を見て、森が言う。
「東京にいると津波の記憶は薄れていってしまうけれど、こういう場所を歩くことで、もう一度向き合うことができます。ずっと残さなければいけないトレイルですね」
土地の話に耳を傾け、その記憶をまた誰かへ伝えていく。歩くことには、そんな役割もあるのだろう。
震災の記憶をどこまで訊ねていいものか。旅人にしか過ぎない身としては、迷う。
「聞いて良いと思います。震災の話というのは、身内だったりご近所だったりには、なかなか話しにくいということを良く聞くんです」と相澤さん。
かつて旅人が文化や出来事を運んだように、ロングトレイルを歩くハイカーにもまた、旅人としての役目があるのだろう。
「通り過ぎて行くハイカーにだから話せることもあるのかもしれませんね」と森がつぶやく。


翌朝、「民宿つなかん」の女将が、大漁旗を大きく振りながら笑顔で見送ってくれる。彼女にも家族を喪った悲しい過去がある。再び前を向く力になったのは、この宿を訪れ、愛してくれる人たちの存在だった。
人は傷つく。
それでも、誰かとの出会いがもう一度歩き出す力になる。
その小さな繋がりの積み重ねが、やがて1本の道を育てて行く。



