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Discover

#9

繋いで行く
悠久の歴史
(2/3)

  • 吉野熊野国立公園
  • 新しい取り組み
  • 瀞峡

撮影:木本日菜乃
文:櫻井 卓

いまなお存在し続ける奇跡。

瀞峡はまるで水墨画の世界だ。
年間およそ5000mmにも達するという、日本でも有数の多雨地帯である大台ヶ原に端を発した水の流れ。それがいくつもの小さな滝をうみ、気の遠くなるような時間をかけて北山川の両岸を侵食した結果、この奇跡のような景観をうんだ。古老のような皺が刻まれた岩肌は、否が応でも地球の歴史を感じさせる。

そんな奇跡の中を舟はゆっくりと進んでいく。
左右に眼を向けると、ときおり縦に抉れた地形の奥に水が流れているのが見える。滝が後退した名残だ。
船頭さんは瀞峡生まれの63歳。瀞峡を案内して20年以上。良い色に焼けた、いかにも山の男という風情だ。

「子供の頃からぜんぜん変わらんね。もうやらかいところというのは残ってないんやろうね」

この北山川は、もともと筏師(いかだし)がくだった川だ。上流で伐採された木を筏に組んで、その上に乗って川を下り、木材の集積地として栄えていた新宮まで届ける。時に生死に関わる危険もはらんでいた。

右岸の上方に、趣きのある建物が見える。
舟のすぐ前に座る、東 達也さんが4代目を務める瀞ホテルだ。東さんは開けっぴろげでよく笑う。瀞峡生まれのやんちゃ坊主がそのまま大人になったような印象の好人物だ。
建物は陸を向くのではなく、川側からの見え方を意識した作りだ。看板も川から良く見えるように付いている。筏師たちの宿、というのが瀞ホテルのはじまり。当時は東屋(あずまや)という屋号だった。

瀞とは川の流れが穏やかな場所を指す。ここで筏を少し大きく組み直したり、支流から丸太のまま流されてきたものを筏に組んだりして、新宮を目指したのだ。逆に瀞ホテルで必要な資材なども、新宮から川を伝って届けられていた。舟自体も路線バスのような役割を果たしていたという。いわば中継点。川の流通を繋ぐハブのような場所だ。奇しくも現在は、和歌山、三重、奈良の3県の県境でもある。

現在107年続いている瀞ホテルだが、時代とともにその役割は変化していく。筏師の宿から、ジェット船で毎日たくさん訪れる観光客の受け入れ、そして現在は、さらなる転換期を迎えている。
都会で働いていた東さんが、瀞峡に戻って来るきっかけとなったのは13年前の水害だった。建物の一部が流されてしまったのだ。当時、瀞ホテルは休業中だったが、このまま放っておいたら幼いころ自分が過ごした実家とともに、風景までもが失われてしまう。

「無くしてしまうという選択肢はまったくなかったですね。売って欲しいという話もいただいたんですが、いつか再開するかもしれない、という思いもありました。正直、売ったとしても、そのお金でなにをしたいか、というと瀞ホテルの再生なんです。ということは自分でやるしかないんですよね」

現在は、宿泊こそ休んでいるものの、カフェ営業やSUPやカヌーなどのアクティビティの提供など、新たな取り組みをおこなっている。そして行く行くは宿泊も再開したいという。

「カフェ営業、アクティビティにくわえて、2階の部屋を貸し切りで休憩できるようにするところまでは来たんですが、ここは滞在することによる変化が素晴らしい場所でもあります。月明かり、朝靄の瀞峡も見て欲しい。そうなると宿泊していただくのがベストなんです」

新婚旅行で来た。修学旅行で来た。そういう古い思い出を持っているお客さんも再訪してくれる。

「自分にとってもそうですが、思い出を守るという意味でもここは続けていきたい。それもあって、ソフト面は僕のエッセンスもいれているんですが、外観などのハード面はできるだけ創業当時に戻していきたいんです」

瀞ホテルを残すということは瀞峡の景色を残すということ。風景を維持、再生しながら、守るということ。ということは、瀞ホテルだけでなく瀞峡自体も残していかなければ片手落ちになる。くわえて国立公園の特別保護地区でもあるので、地域の保全というところにも眼を向けている。そんな考えが「瀞峡ビジョンデザイン協議会」の発足に繋がった。

「観光の在り方がちょうど転換期に来ていると思っていて、もう一度瀞峡の価値を整理する必要があると思うんです。来てくれた人になにを伝えるべきなのか、というところですね。国立公園やジオパークの観点もいれつつガイドラインを作り、それを語ることができる地元のガイドさんも育っていくのが理想です」

歴史ももう一度整理したいという。古くは地質的成り立ちからはじまって、林業の時代、観光の時代、そういった歴史的、文化的なことも伝えて行きたい。風景としての良さだけでなく、それを成立させているもっと根っこに近い部分。

「変わっていないところと変えるべきところのバランスが大事だと思っています。風景は変わっていないですが、この流域に住んでいる人の関わり方は変化しています。かつての筏師たちの川、観光船でたくさんの人がやってきた時代、そしていまちょっと静かな瀞峡が戻って来ている。自分の関わり方もそうなんですけど、良い形で次の世代にバトンを渡せるような、そんな道筋を見つけ出したいです。その時代ごとにあったものにしていける強固な土台作り。いまはまだ、これだ、という答えは出ていないですが、やっていくうちに見えてくるものだと思っています」

景色が変わらない、というのがひとつの指針になる。
瀞峡には昔から人が住んでいるのに、景色がほとんど変わっていない希有な場所なのだ。1936年の指定からいままで国立公園として守られているが、たいていはその網がかかる以前に開発の手が入ったりするものだ。
この自然による彫刻美は、削れ切ってここから先は変わることはない。ある種、景色としてのゴールだ。それを永続的なものにするかどうかは、人の手に委ねられている。
変えないというのは、なにもしないと同義ではない。変えないために積極的に動く必要があるのだ。

瀞ホテルでは、昔のポストカードの復刻販売や、瀞峡八景という昔のポスターにインスパイアされた展示などもおこなっている。昔と今のリミックス感を大切にしているという。

暮らし、文化、歴史をきちんと伝えていけば、たとえば大規模なリゾート開発などで、この風景が変わってしまうようなことはないはずだ。瀞峡を一度離れた東さんが、再びこの地に戻り、だけでなく、瀞ホテル、ひいては瀞峡を次世代に繋いでいきたいという思いを持ち続けているのが、なによりの証拠だ。

People

取材に協力してくれた人たち

瀞ホテルオーナー

東 達也

瀞ホテルの4代目。旅館としては2004年に廃業しているが、現在は喫茶・食堂やアクティビティーの提供のほか、展示なども積極的におこないギャラリー的な要素も持っている。生まれ育ったのもこの瀞ホテル。大学卒業後はアパレル関係の仕事に就くが、瀞ホテル再興のために帰郷。